カトリック情報

2017年10月18日 (水)

寅さんとカトリック ~渥美清さんの洗礼~

先日、フーテンの寅さんを演じた故渥美清さんが、亡くなる直前にカトリックの洗礼を受けていたことを、遅ればせながら知りました。奥様が、熱心なカトリック信徒だということです。

私にとっては、実に感慨深く、感動的なことでした。なぜなら、私は若い時から映画「男はつらいよ」のファンであり、作品はほとんど見ていたからです。なにかしら、神のご配慮を感じた次第です。寅さんが長崎に行き、司祭に会う作品もありました。第20作「寅次郎頑張れ!」や第35作「寅次郎恋愛塾」です。

私は、映画「男はつらいよ」で、日本的な愛と思いやり、人情を学びました。私は、山田洋次監督の作品群のファンでもあります。山田洋次監督の作品は「日本の良心」と言ってもよい、善意にあふれた作品が多いですね。

渥美清さんがどのような経緯で、そして、どこで洗礼を受けたのかはわかりません。渥美清さんはプライベートを語らない方でしたし、カトリックの関係者で、そのことを伝えている人がいないからです。

「男はつらいよ」のテーマソングを作曲した作曲家の山本直純さんも、晩年に四ツ谷のイグナチオ教会でカトリックの洗礼を受けられたことが知られています。私はイグナチオ教会で山本直純さんをお見かけしたことがありました。豪快な笑顔で笑っておられたのが印象的です。

山田洋次監督は共産主義者であることが知られていますが、その作品群の根底にある「良心」は、普遍的なものであると感じます。山田監督の70年代から90年代にかけての作品群にはたくさんの魅力がありますが、私が一番好きな山田作品は、夜間中学校をテーマにした1993年公開の「学校」です。山田洋次監督の長年の課題であったテーマを作品にしたものでした。山田監督の円熟を示す、記念碑的な作品です。この映画は、日本カトリック映画賞も受賞しています。渥美清さんも、八百屋のおじさん役でゲスト出演していますよ。

それにしても、寅さん映画で「日本人の心」を学んだ私にとって、渥美清さんのカトリック受洗は、本当に感動的なことです。どんな思いがあったのか、本当に知りたいですね。どなたか、関係者でうちあけてくれる人々はいないものでしょうか。

そして、寅さんが、日本の無神論共産主義者とカトリックの和解の架け橋になってくれることを祈りたいと思います。
「良心」は、すべての人間に普遍的に与えられている神の賜物なのですから。

渥美清(WIkipedia)

山田洋次(Wikipedia)

山本直純(Wikipedia)

学校(映画 山田洋次監督)

2014年2月 5日 (水)

千利休はカトリックだった? 茶の湯とキリスト教の関係性

本日は、豊臣秀吉の命令によって殺害された、日本のカトリック教会の最初の殉教者たちである、日本26聖人殉教者の記念日です。

日本26聖人についての説明(長崎の観光案内より)

先日、2月3日の朝日新聞の文化面に、「キリスト教徒だった?千利休」と題して、茶の湯の誕生に際したカトリックとの関係性に関する記事が掲載されました。

私たち日本のカトリック教徒にとっては、真に信憑性のある説として語られていることなのですが、一般の日本人にとってはあまり知られていない、ある意味でタブー視されてきた歴史学における一説です。

日本の文化の粋とも言える「侘び茶」の大成者としての千利休ですが、茶の湯の草創期、千利休の高弟であった「利休七哲」と呼ばれた七人の弟子たちの多くは、キリシタン大名でした。高山右近、牧村兵部、蒲生氏郷の三人はキリシタンであり、古田織部、細川忠興もキリシタンであった可能性があります。つまり、七人の弟子のうちの五人はカトリックと関係の深い人物たちだったのです。

カトリックとの関係性を感じさせる部分は、それだけではありません。茶の湯の作法と様式に、カトリックのミサの作法や聖書的な教えが盛り込まれていると感じさせる部分がいくつもあるのです。

利休の茶の湯が、当時の日本における最先端文化だったカトリックの影響を受けていたという説は、なんとも歴史のロマンを感じさせるものです。

利休の孫、宗旦の次男だった一翁宗守を祖とする武者小路千家の14代家元である千宗守さんは「一つの茶碗の同じ飲み口から同じ茶を飲む『濃茶』の作法は、カトリックの聖体拝領の儀式からヒントを得たのではないか」と主張しています。「この飲みまわしの作法が文献に初めて登場するのは1586年(天正14年)、それ以前には行われた記録がなく、どこからかヒントを得て、利休が創案したと考えるのが自然」であると言われています。

当時、日本でも有数の貿易都市であった堺では、カトリックの宣教が盛んでした。「ミサの際、イエスの血の象徴であるワインを入れた杯を回し飲みする様子を見た利休が、場の一致感を高める目的から、日本人にはなじみが薄かった飲み回しを茶の湯に取り込んだのではないか。茶入れを拭く際の袱紗さばきや茶巾の扱い方なども、聖杯(カリス・ワインを入れた杯)を拭くしぐさと酷似している。偶然とは考えにくい。」と千宗守さんは言います。

また、茶室の入り口が「にじり口」と呼ばれる身をかがめなければ通れない2尺ほどの狭い入口で作られていることも、「狭き門から入れ」というキリストの言葉を象徴的に表現しているのではないかという説もあります。

1994年、千宗守さんは、ローマ法王・ヨハネ・パウロ2世に謁見した際、この説を披露しました。するとバチカンの関係者から「法王庁の未公開資料の中に、茶の湯とキリスト教のミサの関連を記した文書がある。いずれ公開されると思うので、待っていてほしい」と言われたそうです。

しかし、今のところ、国内で茶の湯とカトリックの関係性を証明する資料は存在しません。

もし、茶の湯の誕生がカトリックとの交流の中で生まれたことが決定的に証明できれば、まさに、日本人は、戦国時代から、外国文化を積極的に上手に取り入れて自分たちの文化にすることが得意だったということが証明されますね。

茶の湯の歴史の根幹にかかわる重要な説だけに、タブー視せずに、心を開いて、もっと研究していただきたいと思います。

上智大学で、ぜひ、もっと研究してください!


NHK「私を長崎に連れてって~美しき教会とキリシタンの物語~」

2013年5月30日 (木)

サウンド・オブ・ミュージック ~マリア・フォン・トラップの信仰~

「あなたの一番お気に入りの映画は何ですか?」

私は、このように質問されたら、迷うことなくいつも答えます。

「それは、サウンド・オブ・ミュージックです。」と。

皆様ご存知のように、「サウンド・オブ・ミュージック」は、日本の各世代に広く知られ、愛されてきたハリウッドの傑作ミュージカル映画です。「エーデルワイス」「ドレミの歌」「私のお気に入り」「すべての山に登れ」など、思い出すだけでも心躍る歌の数々に彩られた映画ですね。

私が小学生の時、母から、初めて遅くまで起きてテレビを見る許可をもらったのが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の放映日でした。その日、母は「今日は夜、寝ないでテレビを見ていいからね。」と言い、夜8時にテレビの前に来なさいと言いました。それで私は、とてもうれしくて、ワクワクしながらその時間を待ちました。そして、私が初めて見た「大人の時間のテレビ映画」、それが「サウンド・オブ・ミュージック」だったのです。それは、私が物心が付いてから父に連れられて初めて見に行った特撮映画「ゴジラ対ヘドラ」に次いで、二番目に見た映画でした。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の内容については、皆さんご存知の方々が多いと思います。ナチス占領期のオーストリアにおいて、修道女のマリアが、オーストリア海軍のトラップ大佐一家の子供たちの家庭教師に任命され、美しい邸宅にやってきます。そして、厳格に育てられた子供たちの心を歌と交流で開いていき、家族愛は回復されていきます。やがて大佐とマリアには愛が芽生えて結婚します。しかし、時代はナチス侵攻の時代、トラップ大佐はナチスに抵抗し、家族を連れて自由の国アメリカへと脱出するのです。

この第二次世界大戦の重大な局面における気高い人間の尊厳の戦いを、ブロードウェーミュージカルの美しい音楽と歌が包み、マリアと子供たちの快活な笑顔と美しいオーストリアの景色が癒してくれます。子供たちにも大人気のミュージカル映画だと思いますが、あらゆる世代の大人の鑑賞にも十分に耐える、家族愛と第二次世界大戦における人間の尊厳の勝利を歌った高度で気高い内容です。

世界の映画史上においてもまれにみる傑作に数えられる宝石のような「映画の奇跡」だと、私は言いたいのですが、しかし、映画のもとになった原作本を読まれた方々は、どれくらいおられるでしょうか。

この映画は、ブロードウェーミュージカルがもとになったのですが、このミュージカルの原作は、主人公マリア・フォン・トラップさんの自伝「The Story of the Trapp Family Singers」です。日本では「サウンド・オブ・ミュージック 前篇・後編」(谷口由美子訳・文渓堂)として邦訳が出版されています。

この原作の邦訳は、前篇・後編に分かれており、映画化されたのは、オーストリアからの脱出までを描いた前篇です。後編は、映画には描かれていない、アメリカに移住してからの、身分を捨てて移民となった家族の生活の戦いや葛藤、そして歌を通してアメリカ国民に広く受け入れられていくまでを描いています。

この原作は、修道女だったマリアさんらしい、カトリック信仰に根差した楽観主義に満ちており、オーストリアでの生活と、アメリカに移住してからの生活の中で、信仰がどれほど支えであったかが理解できる内容です。

この原作の邦訳のために、トラップファミリーの長女であるアガーテ・フォン・トラップさんが「日本の皆様へ」と題してメッセージを寄せてくれているのですが、そこにはこう書かれています。

「私たち(家族)の一致した思いは、母マリアが本書ではっきり語ってくれたように、神が私たちを導き、暮らしを支えてくださったことに対する感謝です。これまでの年月、私たちがずっと神を信じ、その信頼に神がこたえてくださったこと、それこそ、いま、皆様が手にしてくださっている本『サウンド・オブ・ミュージック』の真のメッセージだと思っています。」

ハリウッド映画である「サウンド・オブ・ミュージック」は、「アメリカ映画」であり、第二次大戦におけるアメリカの勝利を歌った映画でもあるので、トラップファミリーにとって、カトリック信仰がどれほど重大な要素であったのかは描かれていません。しかし、原作本を読むと、オーストリア時代には、自宅に私的チャペルを作ったり、クリスマスやイースターをたっぷりと楽しんだり、親しいヴァスナー神父さんが家族の合唱の指導をしてくれたり、自宅に神学生たちを寄宿させたり、家族でロザリオの祈りを祈ったりと、カトリック的生活の良き香りに満ちています。トラップファミリーに合唱の指導をし、トラップ・ファミリー聖歌隊の生みの親でもあったこのヴァスナー神父は、後にトラップファミリーと共にアメリカに移住します。

オーストリアを脱出する際には、トラップ大佐が、次のように語ったことが書かれています。

「聖書にこういう言葉がある。『何よりも、まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられる。』(マタイによる福音書6章33節)。今、私たちはこれまで何度も聞いたり、読んだりしてきたこの言葉が、本当にその通りなのか、それを確かめるチャンスに恵まれたのだ。」

マリアさんが本来備えていた修道女らしい楽観主義と開拓者精神は、アメリカ人の気質ともうまく合っていたようで、原作本の後編では、マリアさんがとまどい苦労しながらも、キリスト教精神に根差した自由の国、アメリカをこよなく愛していく様子が描かれています。

アメリカに移住してからのトラップ・ファミリーは、着の身着のままで移住した一家が移民としての貧しさと闘いながら、息子たちが徴兵されたり、トラップ・ファミリー・シンガーズとして歌で生計を立てようと努力する様子が、リアルに、正直に描かれています。しかし、それはまさに、アメリカン・スピリットを体現して精一杯生きようとするオーストリア・カトリック移民の一家のアメリカ人に向けた友情の物語でもあり、当時のアメリカ人が共感し、マスコミなどがこぞって取り上げたこともうなずけます。そして、トラップ・ファミリーは、奇跡のような特別な存在の家族合唱隊として、アメリカで広く認知されていったのです。

戦後、トラップ・ファミリーはバーモント州ストウに家族で住み、自分たちの家を「コア・ウヌム」(ひとつの心)と名付け、農園を運営しながらコンサート活動を続け、訪れる人々を歓迎し続けました。現在も、この場所にはトラップ・ファミリーが運営するロッジがあり、世界中から多くの人々が訪れています。

1970年代には、マリアさんは、アメリカで始まったカトリック聖霊による刷新(Catholic Charisimatic Renewal)にも参加されました。1976年に来日された際には、渋谷・初台教会の聖霊による刷新の集会に参加されています。
当時の聖霊による刷新のニュースレターに、マリアさん来日とマリアさんのメッセージが記録されています。下記リンクからPDFファイルをご覧ください。

http://www.newlifejm.net/ibuki_23_19761128.pdf (「主の息吹き」1976年11月28日号・PDF)

私は最近の映画になかば絶望していて、ほとんど見ないのですが、しかし、映画に神の手が働くことがあったとするならば、それはサウンド・オブ・ミュージックではなかったかと思っています。映画が製作された1960年代は、カトリックでは第二バチカン公会議が開催されている期間でもありました。カトリックに新しい時代が来ることを世界が予感していた時代、この映画は、アメリカから発信したカトリック教会へのメッセージでもあったと思います。

修道女が退会して結婚してしまうエピソード、あまりにもアメリカン・スピリットに満ちた内容は、当時の厳格なカトリックの聖職者を恐れさせ、この映画は危険だという人々もおりました。

しかし、今日においては、この映画は、良きカトリック精神の伝統と香りと、そして気高いアメリカン・スピリットが融合すれば、どれほど美しく気高い精神性が生み出されるのかを時代を超えて示す普遍的古典映画となっています。

そして、そのことは、現在の退廃してしまったアメリカと世界の世俗文化とハリウッド映画の状況への、決定的な警告と神からのしるしとしての価値も示しているのではないでしょうか。

サウンド・オブ・ミュージックは、時代を超えて神からの預言を伝えています。

「アメリカ人よ、世界中の人々よ、カトリックの美しい精神に結ばれ、気高い信仰と愛へと回帰しなさい。それは、真の喜びと自由と平和への道である。」と。

「サウンド・オブ・ミュージック 前篇」(マリア・フォン・トラップ著 谷口由美子訳)Amazon

「サウンド・オブ・ミュージック 後編」(マリア・フォン・トラップ著 谷口由美子訳)Amazon

One Voice - The Trapp Family Singers - CD Amazon

「菩提樹」(トラップファミリーを描いたドイツ映画)Wikipedia


※マリアさんの複雑な生い立ちや社会主義無神論に傾倒していた師範学校時代、そして劇的な回心と修道会入り、聖霊刷新への参加などは、自叙伝である「絶妙な道のり」(中央出版社)に詳しいのですが、現在絶版になっており、中古品市場を探すしかありません。この本の原題は「Maria」です。英語で読める方は、ぜひ、原著をお読みください。

「絶妙な道のり」(マリア・フォン・トラップ著 中込純次訳)中古品・Amazon

"Maria" Maria von Trapp, Amazon

2012年11月11日 (日)

ウルトラマンとウルトラセブンはカトリック?~円谷英二と冬木透~

冒頭の表題は往年のウルトラマンファンの方々の間に議論を呼びおこすかもしれませんね。(笑)

さて、ご記憶の方もあるかもしれませんが、昨年の暮れに、日本のカトリック機関紙であるカトリック新聞にひとつの記事が掲載されました。

それは、1967年(昭和42年)に放映され、日本の各世代に広く知られている、伝説的とも言える人気を誇る特撮テレビ番組「ウルトラセブン」の音楽を担当された冬木透(本名・蒔田 尚昊<まいた しょうこう>)さんが、カトリック教徒である、という内容の記事でした。

東宝特撮シリーズに参加し、日本の特撮の神様と言われ、ウルトラマンシリーズを生み出した円谷プロダクションを創設した故円谷英二さんのご一家がカトリック教徒であったことは以前から知っていましたが、ウルトラセブンの音楽を担当された作曲家もカトリック教徒だとは知りませんでした。円谷英二さんの洗礼名はペトロだということです。

日本のカトリック教徒の間で、円谷英二さんの信仰生活や冬木透さんの信仰を伝える人はおりませんので、これらのことは世間の情報で知るのみでした。

ウルトラセブン、そしてその前に放映されたウルトラマンは、現在の40代、50代の男性諸氏には、日本の高度成長期に子供時代を送った世代として、何かとても特別な存在の、強烈な印象を持つテレビ番組ではないでしょうか。

私はこのカトリック新聞の記事にとても興奮してうれしくなりました。なぜなら、私は子供の頃、ウルトラセブンがとても好きで、再放送のたびに必ず見るほどのウルトラマン好きの子供だったからです。なぜ、子供の頃あんなにワクワクしたのか、振り返ってみて自分でも不思議なほどです。

ウルトラセブンは、その完成度の高さから、ファンの間でウルトラマンシリーズの最高傑作と言われているそうです。私の子供心にも、ウルトラマンとウルトラセブンには、後年のブームに乗って製作された派生作品とは違う、凛とした気高さと優しさで惹きつける、志の高いスタッフによって練られ、子供たちのためによく考えられた作品の魅力と完成度の高さを、直感的に感じていました。



2009年に行われたコンサートを伝えるYoutubeの動画には、冬木透さんと共に、主人公のモロボシ・ダン隊員を演じた森次晃嗣さんやアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子さんの姿もあります。

私はウルトセブンが放映された1967年の生まれですから、ウルトラセブンをリアルタイムで見た世代ではありません。私が物心がついて幼稚園に入った頃からの再放送で魅了されてファンになり、熱中して見た世代です。ウルトラマン、ウルトラセブンの再放送によって盛り上がった第二次ウルトラブームになって製作され、そのブームのけん引役となった「帰ってきたウルトラマン」の音楽も、冬木透さんが担当されていたということです。

そして、さらに驚いたのは、日本のカトリック教会のミサで頻繁に歌われ、プロテスタントの教会でもよく知られ広く歌われているカトリック典礼聖歌388番「ガリラヤの風かおる丘で」は、この冬木透さんが作曲した聖歌だということでした。私もこの聖歌はとても好きで、福音の真髄を伝えている歌詞と共に愛唱しています。

「ガリラヤの風かおる丘で」(カトリック典礼聖歌 388番 詩 別府信男 曲 蒔田尚昊)

ガリラヤの風かおる丘で ひとびとに話された
恵みの御言葉を わたしにも聞かせてください

嵐の日波たける湖(うみ)で 弟子たちを諭された
力の御言葉を わたしにも聞かせてください

ゴルゴダの十字架の上で 罪人を招かれた
救いの御言葉を わたしにも聞かせてください

夕暮れのエマオへの道で 弟子たちに告げられた
命の御言葉を わたしにも聞かせてください

どちらかのカトリック教会において、司祭の祝いの席でこの歌が歌われている映像がYoutubeにありましたので、リンクしておきます。


円谷英二さんは戦時中に軍部に協力して戦意発揚のための東宝の戦争映画の特撮を担当し、戦後、しばらく公職追放になっていましたが、職場復帰後にゴジラシリーズなどの東宝特撮路線でご活躍され、昭和40年代になって、テレビ番組制作のために円谷プロダクションを創設されました。円谷英二さんの周囲には、当時のテレビ番組の可能性に燃える若き志高い論客のスタッフが集められたそうです。60年代という学生・労働運動最盛期の時代背景の中で、何事にも議論を尽くして話し合い、考え抜く風土があったことは確かだと思います。一方で、60年代後半はカトリック教徒にとっては、第二バチカン公会議直後の新しい刷新された教会の時代の始まりの時でもありました。

円谷英二さんの人生を思うとき、戦争協力の罪への深い悔い改めの中で、戦後復興のために国民に希望と勇気を与えようと必死であったであろうことが推察されます。子供向けのテレビ番組であるウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの製作時、残酷な描写を製作しようとした若いスタッフに対して、すぐに撮りなおしを命じたこともあったそうです。

円谷英二さんはサインを求められると、色紙に「子供に夢を」と書いたそうです。戦後の高度成長期、発展していく国家と社会の高揚感の中で、科学と技術の未来に明るい健全な希望を感じていた時代、子供たちの心は、斬新な未来的感覚で洗練されたSFセンス、勇気と愛にあふれたウルトラシリーズに惹きつけられ、ウルトラマン、ウルトラセブンと地球防衛軍が活躍する怪獣との戦いに魅了されていったのです。

円谷英二さんと協力した冬木透さんも、カトリック教徒として子供たちへの気高く熱い思いを抱いていたであろうことは疑う余地がありません。

故円谷英二さんと円谷家、そして冬木透さんのカトリック信仰について詳細に語られた文献は私が知る限り見当たらず、日本のウルトラファンの間でも研究が進んでいないのだと思いますが、日本では大切に扱われず軽んじられる個人の信仰心は、実際は、信仰者である人の人生の中核を支えるものであり、信仰を語らずしてその人の人生は語れないのが真実ではないでしょうか。特に、カトリック教徒にとって、信仰とは人生全体の中心であり、社会生活の目的であり、ゴールでもあるのです。

信仰を二次的なこと、あるいは個人的な趣味嗜好の領域に閉じ込めてしまう日本社会では、人間の人生における欠かすことの出来ない大切な視点を見落としてしまいがちだと思います。円谷英二さんや冬木透さんの人生を真に理解するためにも、二人の信仰についての研究が進むことを期待したいと思います。

それにしても、円谷英二さんのご存命中に製作されたウルトラマンやウルトラセブンが、日本の若きスタッフの情熱と未来への希望にクリスチャンの真心が融合して生まれていったということを、なんとも甘美で素晴らしいことと感じます。ウルトラマンやウルトラセブンには、子供たちの心を創造力と健全な正義と未来への明るい希望にひきつけていくために、神なる聖霊が導いてくださった部分もあるのではないでしょうか。

これはちょっと言いすぎでしょうか?

しかし、当時の子供たちを強く惹きつけたウルトラマンとウルトラセブンが放つ不思議な魅力を思うとき、カトリック教徒が関わった誇りを感じながら、多様な聖霊の御業を賛美したくなるのです。そして、子供の時にウルトラマンやウルトラセブンに熱中した私がカトリック教徒になったことにも、なんとも不思議な導きと巡り会わせを感じます。

献身と自己犠牲によって地球を守ったウルトラマンとウルトラセブンは、カトリック教徒です!と言いたいですね。(笑)


それにしても、その後の日本社会は、そして日本の子供番組は、聖霊の御業に心を開いてきたと言えるでしょうか?
ウルトラマンとウルトラセブンの伝える良き香りは、現在の日本社会の堕落と混乱と迷走に、警告を与えているように思えてなりません。


円谷英二(Wikipedia)

蒔田尚昊<冬木透>(Wikipedia)

2012年7月14日 (土)

美智子皇后の実弟、正田修夫妻カトリックの洗礼を受けられる

皆様に、喜びのお知らせをいたします。

私の信頼できるカトリック教徒の知人からの情報によりますと、今年に入ってから、皇后・美智子様の実弟である正田修・素子夫妻が、都内の教会でカトリックの洗礼を受けられたということです。

正田家は、美智子様の祖母きぬさんが昭和2年にフランス人宣教師ヨセフ・フロジャック神父より洗礼を受けられてから、カトリックには縁の深いお家柄です。きぬさんの夫であった正田貞一郎氏も、戦後、昭和24年に関口教会でカトリックの洗礼を受けられています。また、美智子様の母上である冨美子さんも、臨終の間際に洗礼を受けられ、実妹の安西恵美子さんも洗礼を受けられたとのことです。

美智子様がカトリックのミッションスクールで育ち、聖心女子大学を卒業されたことは、あまりにも有名ですね。
美智子様は、カトリックの精神が育んで誕生した、日本の新しい時代の皇后である、と私たちは胸を張って言えるのではないかと思います。

さて、最近テレビでどなたかが、「今の時代、人格と品格を守るのがとても困難になった。」と言っているのを耳にしました。現代の発達したコミュニケーションの拡大による情報の洪水の中で、人格の尊厳と品性を破壊する様々な言葉と表現が様々なメディアから、無制限に流れてきます。

私は、現在のインターネット時代の新しい情報社会とコミュニケーションの発達そのものの全てを否定しているのではありません。インターネットの発達によって、私たちは必要とする情報が瞬時に手に入るようになり、また、インターネットコミュニケーションの発達によって、国家の壁が崩壊し、人々は必要とする時にすぐに交流ができるようになりました。人々の心が開かれ、知的欲求が満たされ、孤独が癒され、真実が明らかになってきています。それらの善の側面は、私たちの社会の刷新に寄与し、省資源、省エネルギーにも貢献しています。

しかし、一方で、負の側面は異常なほどの支配を広げています。私たち、特に現在の子供たちと若者たちは、物心がついた時から、インターネットやテレビ、映画、漫画、ゲーム、様々なマスコミを通して、退廃した下品な多量の情報に慣らされ、そのような情報を共有することで連帯を見出し、協調しています。「協調性」という言葉がもてはやされ、至上の価値とされる日本社会の中で、極めて世俗的な流行に同調し、心を開かなければ、寛容性の欠如と見なされ、「社会不適応」の烙印を押されてしまうかのようなご時勢です。「協調性」の基準をどこに置くのか、社会的寛容とは何なのか、私たちが守らなければならない人格の尊厳と品性とは何なのかについて、緊急に思い巡らさなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

現在の日本の世俗文化の象徴的存在であり、大きな影響を与え、メディアを支配しているとも言える吉本興業などのお笑いや、刺激的な企業CMなどは、目と耳をふさぎたくなるような品性の欠如したいいかげんな言葉と感性、表現を機関銃のように乱射し、無防備で感受性の強い若者たちに影響を与え、その退廃した文化と生活表現を伝染させています。感受性の退廃は、生活の退廃へと導き、家庭の退廃、共同体の退廃、経済活動の退廃、そして国家の退廃へと導いていきます。

メディアに関わり、実質的に大きな社会的影響力を持っている人々は、表現と言論の自由を注意深く気高く駆使しなければ、未来の社会の存亡に関わってしまうということを真剣に自覚しなければいけません。そのような真剣な社会的配慮の欠落がもたらす重大な結果はすでに私たちの精神性に現れ始めており、今後20年、30年、50年後にさらに重大な結果をもたらすことでしょう。

さて、天皇家が日本国民統合の「象徴」として、国民に与えられた恵みであるならば、皇室が懸命に表現している品位と美は、本来全ての日本国民が平等に共有すべき、日本人の心の美徳ではないでしょうか。

よく、皇室のことについて、「私たち一般市民には縁遠い世界だ。」とか、「私たち下々の者には関係がない。」という表現を耳にしますし、それは一種の妬みの表現でもあり、自分たちの現実からの諦めの表現とも思いますが、本来、人間の尊厳と品位に、身分の上下や社会的地位は関係がないと思います。

むしろ、市井の中で、認められなくとも小さな生活を誠実に生きようとして、神や仏を裏切らない生活をしようと懸命に生きている人々の中に、偽りではない真の品格が存在するということを私たちは体験的に、そして本能的に知っています。創価学会や立正佼成会、実践倫理会などの新興団体の興隆は、日本人が本来所有しており、求めている人格の尊厳と品性への憧憬を提供しようとしているからでなないでしょうか。


私たちカトリック教徒は、神から与えられた人間の本来の人格と品性の気高さのことを、「聖性」と呼びます。カトリックでは、「聖性を生きることは、すべてのカトリック教徒の義務である」(教皇ヨハネ・パウロ2世)とまで教えます。

「私は聖人ではないから。」とか、「修道院でなければ、聖なる生活はできない。」と考える人々がカトリック教徒にも存在しますが、それは大きな勘違いです。聖性とは、本来、私たち全ての人間の本性に注がれている神の恵みなのです。それを自己の中に見出し、聖性を生きようと決意することは、神から与えられた本来の自分のいのちと人間性の美しさに素直に従うということです。

「本当の自分を生きる」と宣言して、動物的本能のままに享楽的、あるいは退廃的な言動で生活しようとする人々がいて、それが寛容だと受けとめられ、そのほうが正直だと言われたり、世間的に魅力的に語られたりもしますが、それは、神が与えてくださった人間のいのちの恵みの本来の品位と美を見つめずに軽んじる、途方も無い神への忘恩と侮辱なのです。

人間同士のコミュニケーションを隔てていた壁が崩れ、インターネットと携帯電話、簡易コミュニケーション媒体が劇的に普及した現在、私たちは、以前より無防備になり、退廃した無差別な情報との接点が過剰に増えています。その意味で、私たちが聖性を生きるためには、以前に増して、私たちの内にある聖性を守る努力と決意が必要となってきています。

たとえば、電車の中で大部分の男女が携帯電話やスマートフォン、携帯端末を操作してメールやインターネット、ゲームなどを利用している現在の状況は、私には、ぞっとするほどの一種異様な状況と感じられます。

携帯端末の普及する以前は、電車の中では読書したり、疲れを休める為に仮眠したり、物思いにふける人々がいたり、同伴者と生きた会話をする人々がほとんどでした。電車の中は、沈黙のうちに心を休め、思索する静けさに満ちていましたし、あるいは生きた人間の交流の場だったのです。しかし、現在は、電車の中はあらゆる雑多な情報との接触の場となり、同伴者がいても携帯をながめている人々がいます。人間の生きた交流が失われ、心と霊を休める場ではなくなりました。

私たちカトリック教徒は、よく電車やバスの中でロザリオなどで祈るようにと勧められてきましたが、現在の日本の一般の社会状況は、「電車の中で静かに祈る」ような心と感性は、ほとんど失われてしまったと言えます。

カトリック教会にある生活様式の一つである観想修道院の生活は、ある意味で「象徴」です。天皇家が日本国統合の象徴ならば、観想修道院の生活は、キリスト教的な聖性の生活の象徴です。修道生活は、「囲い」と呼ばれる禁域を持ち、聖性への望みを破壊する様々な事象と知識から、自分たちの礼拝と労働の生活を守ります。

私が北海道北斗市・渡島当別のトラピスト修道院で生活した2年余りで私が理解しえたことのひとつは、氾濫している雑多な情報から解放され、創造主の愛のみを思索し、シンプルに生きる礼拝と労働の生活が、どれほど愛と喜びと心の平和にあふれているかということでした。それは確かに、聖性への望みが、本来人間が持っている真の願望であることを感じさせてくれました。

社会生活を送る私たちも、この異常な情報の氾濫の時代、「心と霊の囲い」を守る決意が、一段と必要になってきているのではないでしょうか。

現在の情報社会の中では、いかに多くの情報と接点を持ち、いかに雑多な知識を受け入れて豊富に持っているか、いかに多くの情報を使いこなすかが社会的に優位にたつことの条件になっているかのようです。知識の優位が、人間性の優位のように思われています。

しかしそれは、真の識別をもたない個人個人が多量の情報と接点を持つことが可能となった今の時代に、重大な倫理的危機と混迷をもたらしています。情報との接点が過剰に増え、「情報を入手せよ」という企業市民社会からの圧迫が個人に迫り、それが人生を成功と幸福に導くと思わされ、人々はどう取り扱っていいかわからない雑多な情報に振り回されていきます。そのことによって、人々は、経済的利益を生み出す欲望の拡大と全ての世俗的事柄の受容を要求され、内面的混乱のうちに、善と真実による識別の目を失ってしまうのです。それは結果として、聖性の喪失と破壊へと至ります。

私たち信仰者はこの重大な時代、自分たちの「心の囲い」に、入れても良い情報と、入れてはならない情報、入れても良い価値観と、入れてはならない価値観を、しっかりと見極めていく必要があると思います。それは、この社会の現実の中にあって、神の国を表現し、生きていくために、絶対に必要なことでしょう。

「心の囲い」を持つことは、社会からの逃避ではありません。人間のコミュニケーションを阻む壁を作ることでもありません。人間性を堕落させる退廃と混乱からの防衛であり、人間同士のコミュニケーションの中で自分の心に築かれている神の家、神の国を示すことです。それは、神の御心にかなうことであり、神が限りない愛のうちに創造された人間と世界の本来の美への信頼を生き、それを守ることに協力することです。

ですから、それは逃避と言うよりは、気高い戦いです。修道生活の「囲い」が聖性を守るための霊魂の戦いの象徴なのですから、社会生活を送る私たちの聖性の戦いは、より最前線において、実戦的に、多様な手段と方法で行われていく必要があると思います。

願わくは、私たち日本国民、日本社会、日本国が、キリストと出会い、キリストの愛を見出し、神が与えてくださる聖性に満たされていきますように。

それは、神が与えてくださった本来の姿の、新しく美しい国を築いていくということです。