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2019年11月30日 (土)

「天の国(パライゾ)を生きる~教皇フランシスコの長崎でのミサの説教を視聴して思うこと~」

「天の国(パライゾ)を生きる~長崎教皇ミサの説教を視聴して思うこと~」

11月24日、長崎の教皇フランシスコによる午後のミサは、午前中の強い風雨から一転、晴れ間も見える祝福と喜びに満ちたものとなりました。この日はカトリックの典礼では「王であるキリストの祭日」でした。教皇の説教は、長崎の殉教者の群れの信仰の証しと流された血を思い出させるもので、特に、殉教者たちが望んだ「天の国」を観想させるものでした。聖パウロ三木他日本26聖人たちが西坂の丘で木の十字架に磔になりながら、天を見上げて夢見た「天の国(パライゾ)」。戦国時代の日本の聖人たちは、天国(パライゾ)を望み、天国(パライゾ)を生きたかったのです。

天国(パライゾ)を生きるとは、現実から離れて、お花畑を夢想することですか?そうではないはずです。この「お花畑」という言葉は、日本の極右・保守の人々が、ネット上で左派の公共政策や軍縮・外交政策などを攻撃する言葉としてしばしば用いられています。しかし、どうですか?真の天の国(パライゾ)を生きるとは、右でも左でもない、イデオロギーには縛られないものであり、ましてや、お花畑でもない、地上において創造主である神の思い、神の夢を実現していくことではないですか?カトリック信仰の中から見出せる「天国(パライゾ)、神の国」について、長崎のミサで教皇フランシスコは次のように話されました。

「天の国は、わたしたち皆の共通の目的地です。それは、将来のためだけの目標ではありません。それを請い願い、今日からそれを生きるのです。病気や障害のある人、高齢者や見捨てられた人たち、難民や外国からの労働者、彼らを取り囲んで大抵は黙らせる無関心の脇で、今日それを生きるのです。彼らは皆、わたしたちの王、キリストの生きる秘跡なのです(マタイ25・31-46参照)。なぜなら「もしわたしたちが本当にキリストの観想によって出発したのであれば、あのかたがご自分を重ねたいと望んだ人たちの顔に、あのかたの姿を見いださなければならない」(聖ヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『新千年期の初めに』49)からです。」

教皇は言われました。「今日からそれを生きるのです。」

信仰を持って決意し望むならば、天国(パライゾ)を今日、生き始めることができると教皇は言われます。天上の永遠の天国(パライゾ)を望み、地上で天国(パライゾ)を生きる。それはお花畑の夢想ではなく、王であるキリストが望んだ「神の国」を地上で望み、私たちの日々の生活の中に見出しながら生きていくことですね。

教皇は、長崎の殉教者たちの夢見た「天の国(パライゾ)」を、今の時代に新たに思い起こさせてくださいました。

「教皇の説教 王であるキリストの祭日のミサ 長崎県営球場(長崎ビックNスタジアム) 2019年11月24日、長崎」
https://www.cbcj.catholic.jp/2019/11/24/19822/

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