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2014年8月31日 (日)

秋田のしるしが置かれた国で⑩

まず、ことわっておきたいのだが、私は、自分がカトリック教徒になって人生上体験してきたことを過小評価すべきではないと考えている。むしろ、私が体験し、見聞きしてきたことは、本当に重大で深刻な、そして霊的、社会的な教会内の問題なのだと自己評価している。私は、誇大な被害妄想にふけるつもりはない。ただ、事実だけを見つめているに過ぎない。

私が自分の体験を日本の教会権威者たちに話していったとき、笑い飛ばすように話を誤魔化す人々が多かった。

私にとって、それは本当に偽善的で保身的な、奇妙な宗教的暗示だと感じた。
「ゆるしと愛」は、自分たちを守るための方便ではない。組織擁護と保身のために、「ゆるしと愛」を用いるならば、それは明らかに主イエスの御心から逸脱した偽善である。意図的にそれを行っているのならば、それはもはや、大きな罪なのだとも言える。

だからこそ、私は真実の告知に踏み切った。日本のカトリック教会の真実の出来事の中に、何が見えてくるのか、それを明らかにしていきたい。

さて、私がフランシスコ会に入会して不自然に感じたいくつかのことについて、引き続き伝えていきたい。

私がフランシスコ会に入会して、複数の日本人司祭たちに噂として吹聴されたことのひとつに、「イタリア人司祭への侮辱」と「長崎出身者たちへの侮辱」があった。

これらのことは、私は今日まで何度も振り返って考えているのだが、本当に奇妙で理解できないことだ。

日本人の複数の司祭や神学生が、外国人宣教師の悪口を言うとき、それは、外国人宣教師の方々の人生の背景や、日本に賭けた真剣な思いなどは思慮されていない。

フランシスコ会の故リノ・ミケレッティー神父は北イタリア出身の宣教師で、長年日本で働いた。関西と関東のフランシスコ会の担当する教会に長年おられたから、知っている方々も多い。六本木にあった日本語学校の校長や、北浦和修道院の修練長をされた時期もあったし、大阪・生野区の志願院の修道院長をされたこともあった。私が出会ってお世話になったのは、大阪・生野区の志願院であった。生野区の特殊性の中で、日本人と韓国朝鮮人の間で謙遜な和解の使徒としての奉仕をされた。その後、リノ神父は、六本木の外国人教会であるフランシスカン・チャペル・センターの主任司祭となり、その後、2006年に帰天された。

http://ofmjapan6.blogspot.jp/2008/02/24_04.html

リノ神父は、当初、中国に宣教師として渡ったが、共産化した中国を脱出して日本に来た。そして、神の御心に従って、日本で宣教師としての人生を全うされた。本当に謙遜でユーモアのある、そして頑固な、イタリア人らしい宣教師の方であった。

私の尊敬する、このリノ神父の悪口を言う日本人司祭たちが私の周りには何人もいた。それは、ジョークであったろうか?いや、私には、意図的な噂の吹聴に感じられた。なぜ、日本人に好感を持たれる宣教師を悪く言わねばならないのか?私には理解できなかった。

しかし、後年、1995年に、三軒茶屋教会の主任であったフランシスコ会ローマ管区のイタリア人司祭、ジョバンニ・プッチ神父から「私たちは妨害されているんだ。」と打ち明けられた時、符号が一致した。

また、1994年、北浦和修練院にいたときには、ドイツ人宣教師である修道院長、ウルバン・サワビエ神父から、「私の活動は、なぜか妨げられている」と打ち明けられたこともあった。

欧米の外国人宣教師たちの血のにじむような努力と献身を笑いものにして、活躍を無にしようとする巧妙な意図が、確かに日本のカトリック教会の中に存在する。ローマ・バチカンの意図を偏見を持ってとらえ、宣教への情熱に燃えた民衆に近づける外国人宣教師たちを片隅に追いやろうとする動きが確かにあったのだ。表面的には尊重しているように見せていても、実際は活動を妨げ、思うように宣教ができないようにしていった。これが事実だ。

それはなぜだろうか?私には、「何らかの意図に基づいた日本人による巧妙な乗っ取り」以外には考えられない。私が体験してきたことを照合するならば、それ以外には答えが導き出せないのだ。

そして、フランシスコ会に入会した私の周囲には、「長崎出身者への侮辱」をする司祭たちが複数存在した。

その内容は「長崎は子だくさんが多いから、子供の数を減らすために神学生になった。」とか、「離島から無理やり連れてこられた人々が司祭になった。」など、長い苦難の歴史と、カトリック文化が根付いた長崎の文化背景への尊敬と想像力を欠いたこれらの発言は、いったい、どんな意図があって行われていったのだろうか?

長崎出身者たちが日本のカトリック教会の実権を握ることが迷惑なのだろうか?

外国人宣教師と長崎出身者以外の司祭が実権を握ることが、日本のカトリック教会を背後で操る人々の長期的な目標なのだろうか?

今まで、これらのことを振り返って考え続けてきたが、どう考えても、日本のカトリック教会内には、巧妙な噂の流布を用いた意図的な操作が存在してきたことは間違いない。

それらの意図は、どのような源から来ているのだろうか?それが、私の証しの最も重要なテーマである。

さて、先日8月27日の教皇フランシスコの一般謁見における説教を下記にリンクしたい。
説教のテーマは、「教会は一つであり、聖である」である。教会内の分裂を嘆いた秋田の聖母のメッセージの警告に呼応しているとも言える内容だと感じる。ぜひ、ご一読いただきたい。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/francis/msg0145.htm

                                                  (続く)


2014年8月 8日 (金)

秋田のしるしが置かれた国で⑨

私がフランシスコ会に入会してから不自然に感じたいくつかの事柄を書いてみたい。
ひとつは、大阪・生野区にあったフランシスコ会志願院で出会ったひとりの志願者である。大阪・生野区は、在日・滞日韓国朝鮮人の方々がたくさん暮らす特色ある地域である。

志願期には6人の志願者が集まり、当時としては多くの志願者が集まった年として、関係者は喜んでいた。
このうち、現在、司祭となったのは二人である。

一人は順調にフランシスコ会司祭となった古里慶史郎氏、そしてもうひとりは、長崎出身で上智大学卒、フランシスコ会を神学生時代に退会し、後に長崎教区で教区司祭として叙階された中野健一郎氏である。

志願期には、ほかに私を含めて4人の志願者がいた。そのうちの一人は、さいたま教区・北浦和教会出身の30歳前後のA青年だった。

このA青年は、塾の英語教師をしていた。英語が堪能だった。洗礼を受けてさほどたっていなかったが、入会を希望して、私たちに合流してきたのだった。普段は気のいい兄貴分の青年で、皆のために食事の準備を一生懸命にするような人物だった。

志願期には、様々な奉仕体験をし、いろいろな旅行にも出かけた。志願者皆で、韓国のフランシスコ会と交流をし、韓国巡礼も行った。長崎にも皆で巡礼に行った。

不自然な出来事は、この韓国旅行で起きた。
私たち志願者たちは、志願院長であった松井繁美神父に引率されて、皆韓国旅行に連れ立って出かけたのであったが、前述の北浦和教会出身のA青年が、突然、韓国で奇行を行ったのだ。

A青年は、韓国に到着した後、突然、シャワーを浴びなくなった。2週間ほどの旅行の日程であったが、最後までシャワーを浴びず、ひげもそらなかった。旅の後半では異臭がし、聖堂でのミサや集会の時、周囲の人間はひどく迷惑した。

私は本当に驚き、「なぜですか?シャワーを浴びるべきです」と言ったが、「僕は罪びとなので、このままでいい。」などと言った。

結局、韓国のフランシスコ会の神学生や司祭たちも、事態を異常だと捉えはしたが、原因がつかめないので、沈黙していた。

A青年は、日本に戻ると、さっさとシャワーを浴びて、ひげをそり、普段の生活に戻った。指導者の松井繁美神父も、事態を正確に把握しかねていて、戸惑っている様子だった。

このA青年は、私と古里氏と一緒に修練院に進む予定であったが、修練が始まる直前に、突然、辞退を申し出て退会した。詳細な理由は不明のままだった。大学を卒業したばかりであった中野健一郎氏は、もうひとりの兄弟と共に、志願院に残った。

今、振り返ってみると、A青年は、韓国人と、そして韓国のカトリック教会と親密に交流する日本のフランシスコ会に対して、嫌がらせを行う目的で侵入したのではないかと、私は疑っている。あのような奇行を行えば、そのような疑いが生じるのは、当然というものだろう。なんらかの右翼的思想が背景にあるのではないかと思う。

しかし、当時の私たちは、若かったこともあり、そのような陰謀が存在する可能性を考えるような発想そのものを持ち合わせていなかった。ただただ、A青年の奇行を不思議がるばかりであったのだ。

これは、私が志願院で最も印象に残っている事柄の一つである。

                                             (続く)


2014年7月25日 (金)

秋田のしるしが置かれた国で⑧

私が最初に「精神的におかしい」などと噂を流されたのは、私が知る限り、1994~1995年にフランシスコ会北浦和修練院に修練者として在籍していた時のことである。

当時、私は北浦和修練院で私と共同生活をしていた一部の修道者が、私に対して陰湿ないじめをたびたび行うのを体験していた。

当時の北浦和修練院では、私のほかに、もうひとりの修練者がいた。現在、司祭となっている古里慶史郎氏である。古里氏と私は同年齢で、志願院の時から共に生活した仲であった。志願院は当時、大阪の生野修道院にあり、私を含めて6人の志願者がいたが、いろいろな理由で修練院には進まない者たちも多く、私と古里氏の二人だけが北浦和修練院に進んだのである。古里氏は佐賀県出身、検察に勤務していた元公務員であった。

しかし、古里氏には何の危害も加えられず、私だけに陰湿ないじめが攻撃的に行われていった。このことは、古里氏も、気づいていたと思う。また、隣接するフランソワ幼稚園を運営する純心聖母会のシスターたちも気づいていたと私は認識している。

最初、私は、これは修練院特有の修業なのかもしれない、と思い、ひたすらに忍耐しようとした。しかし、事態の推移を冷静に見極めていこうとすると、確かに、これはそのような「愛のムチ」や「善意から発出する厳しさ」では無いことがわかっていった。

攻撃的ないじめは、数か月にわたって継続されていった。しかも、このような陰湿ないじめは、当時修道院長だったドイツ人宣教師、ウルバン・サワビエ神父が不在の場所で行われていった。つまり、外国人宣教師には知られないようにして行われた、ということだ。

生野志願院では、このようなことは何もなかった。不自然だと感じるいくつかのことはあったが(それについては後述しようと思う)、私に対する攻撃的ないじめはなかったのである。生野志願院には、指導者は修道院長のイタリア人司祭、故リノ・ミケレッテイ神父と長崎・五島列島出身の志願院長・松井繁美神父だけしかいなかったことも理由であったかもしれない。

1994年冬、継続される陰湿ないじめについて、私はあまりにも義憤を感じ、私の出身教会である東京・世田谷区の三軒茶屋教会の主任司祭であったフランシスコ会ローマ管区のイタリア人宣教師、ジョバンニ・プッチ神父に電話をして、修練院がおかしな状態であることを知らせた。

プッチ神父は「フランシスコ、どういうことだ、大丈夫なのか?」と言った。そして、「やはり、修練院はおかしいのか!」と言った。プッチ神父は、自分なりに調べてくれると約束してくれた。後日、プッチ神父は1999年にイタリアに帰国し、現在はローマで忙しく働いておられる。プッチ神父とのいきさつについては、以前のブログ記事「秋田のしるしが置かれた国で①」に詳しいので、お読みいただきたい。

そして私は、ひとつの可能性として、「これは修練院の修道者全体で仕組んでいることかもしれない。」とも感じたので、当時のフランシスコ会管区長であった福田勤神父に、私の体験を訴える内容の手紙を書いて送った。

福田勤神父からは何の連絡もなかった。後日、2004年頃に福田勤神父に電話連絡し、当時のことを確認したところ、管区理事の日本人司祭たちから、「彼は精神的におかしい」という情報が寄せられた、ということであった。

当時、修道院で孤立感を深めた私は、修道院長のドイツ人宣教師、ウルバン神父に訴えようかと考えたが、日本にいてくれる善人の宣教師を苦しめたくなかった。そして、修練期特有の私の精神状態が、「他者を悪く言うこと」を強く避けさせようとした。

そこで、私はフランシスコ会を退会するべきかどうかを判断するため、個人黙想を願い出た。そして、1995年の1月に、京都にある宇治カルメル会に向かう予定となった。1995年の1月は、とても印象深い。1月17日に、阪神淡路大震災が起きたからである。

私が個人黙想のために京都に着いたのは、阪神大震災の一週間後であった。当時、震災後の支援のためにカルメル会の修道者たちは出払っており、落ち着いて個人黙想をできる状態ではなかった。結局、私も震災後の支援のために兵庫県に向かうこととなり、西宮や三宮でボランティアのお手伝いをすることになった。

震災後の爪痕が生々しい混乱する街々でお手伝いをしながら、静かな澄んだ青い空を見上げたとき、私は神の声を聞いた。それは、「私は、世の終わりまで、あなたといつも共にいる」というものだった。

京都の宇治カルメル会修道院に戻り、私は祈りながら、フランシスコ会を退会することを決めた。そして、当時、秋田の聖体奉仕会で常駐ボランティアとして生活していたK・N氏に電話し、フランシスコ会を退会することを決めたことを告げた。K・N氏は、私の三軒茶屋教会時代の友人であり、共に活動した仲間であった。すると彼は、「僕は新潟教区の神学生になる。聖体奉仕会のボランティアがいなくなるので、来てくれないか?」と言った。私は本当に驚いたが、これも御摂理かもしれないと感じ、自分の行き先を決めるまでという約束で、聖体奉仕会をお手伝いすると返事をした。K・N氏と私の関係については、私が以前に書いたブログ記事「秋田のしるしが置かれた国で①」に詳しい。こちらをお読みいただきたい。

そして、フランシスコ会北浦和修練院に戻り、当時の修練長だった長谷川潤神父に退会する旨を告げ、1995年の2月にフランシスコ会を退会した。私が退会することを知った修道院長のウルバン神父は、悲しそうな顔で私を見つめ、「あなたは戦わないのか?」と言った。私は返す言葉が無かった。この言葉は私の心に深く刻まれ、その後の私の人生の支えの一つとなった。

退会した際、フランシスコ会本部を訪問し、福田勤管区長に会った。彼は私にこう言った。「こんなことをしてくれたら、どこか紹介できるわけないけれど、トラピストでも行ってみたらどうだい?あなたみたいのは、トラピストしかないと思う。」極めて侮辱的な言い方で、こう言ったのを記憶している。

私が手紙で送った内容にはまったく触れなかった。自分たちの保身のために、私を侮辱的に扱ったのは明らかであった。

もっとも、理事たちから私のことを精神的におかしいなどと言われていたのだから、勘違いしていたとも言えるだろうが、もし、本当に精神的におかしい状態の人間に接するならば、もっと気遣いを持った言動をするべきであったろう。この件に関しても、日本の修道会の「偉い方々」の鈍感と傲慢さを感じさせた。

それにしても、当時の私の精神状態はとても良好で、なぜ、精神的におかしいなどと根拠のない、証明できないことを噂にして言われたのか、まったく理解できない。おかしいのは修練院の皆様、そして、管区本部の皆様ではなかっただろうか?

2004年、福田勤神父にこの件について問い合わせても、管区理事の責任にして逃避し、謝罪の言葉もなかった。
また、プッチ神父は1999年に帰国したが、当時、その後三軒茶屋教会を担当していた若手司祭である松本巌神父に、北浦和修練院で体験した異常なことについて少し伝えようとしたところ、「修練院で起きていることは誰にも言ってはいけない。」などと口止めをされた。

なぜ、口止めをされたのか、まったく不可解である。松本神父は何かを知っており、そして、隠しているのがはっきりとわかった。

話を戻すが、1995年2月、フランシスコ会を退会した私は、2月11日(ルルドの聖母の記念日)に、秋田に入った。そして翌年の2月11日までの1年間、聖体奉仕会をお手伝いすることになるのであった。

今、振り返ってみると、これらの出来事は、私のことを「精神的におかしい人間」に見せかけ、黙らせるための日本人による工作の始まりだったのだと理解できる。

証しされた内容は、主イエスの御座の前に真実であると宣言する。
この内容は、ミレニアム前後から、複数の外国人宣教師を通じて、バチカンに報告されている。

                                               (続く)

2014年4月14日 (月)

秋田のしるしが置かれた国で⑦

私は、今まで書いてきたように、カトリック教徒になってから私の人生に起きていった出来事の数々によって、日本のカトリック教会にひどくつまづきを感じている。

私の経験上、正直に言って、日本人のカトリック聖職者のほとんどを信用できないと感じている。
日本人司祭の説教を聞くことに嫌悪を感じるし、日本人司祭の捧げるミサには参加したくない、と思うほどだ。

なぜ、そのような思いに至ったかは、私が今回書いている「秋田のしるしが置かれた国で」によって、説明してきているつもりだ。これからも、引き続き説明していく。

私の証しに「何らかの心当たりのある」日本人カトリック聖職者と信徒の皆さん、そして、日本社会の構成員の方々、もし、私の書いてきたことが主なる神と世界の前に明らかに誤りならば、それを私に説明してほしい。

しかし、私が書いてきたことが主なる神と世界の民の前に真実であると感じるならば、私に明確に謝罪しなさい。

主イエスは福音書の中で、こう言っている。

「私を信じるこれらの小さな者のひとりをつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて深い海に沈められた方がましである。世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。」(マタイによる福音書 18章6-7)

私は、あなたがた日本のカトリック教会にひどくつまずいた。あなたがたは、「つまずきをもたらす者たち」なのだ。
だから、もし、私が間違っているなら、きちんとそれを証明しなさい。

また、主イエスは、福音書の他の箇所で次のように言っている。

「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っていることをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰ってきて、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。」(マタイによる福音書 5章23-25)

これは、祭壇に供え物を献げる者たちへの、主イエスの命令だ。
私は、あなたがた日本のカトリック教会に対して、激しい反感を感じている。

あなたがたは、私の訴えを無視していった。そして、何食わぬ顔で、品行方正、公明正大なカトリックを演じてきた。私は、あなたがた日本のカトリック教会を、偽善者だと感じている。

だから、私と和解しなさい。和解するためには、あなたがたは、自分たちの非を認め、私に明確に謝罪しなければならない。

私を無視することは、私と共に歩んでおられる主イエスと母マリアを無視することに他ならない。

あなたがたは、自分たちの体制擁護に固執するあまり、私を無視してきたが、地上で私を無視しても無駄である。

なぜなら、あなたがたは、天の門で私と会うことになるからだ。
私は天の門で、聖ペトロ、御母マリアと共にあなたがたを待つ。

だから、私は主イエスの御名によって、「秘められた誘導」の支配下にある、
あなたがた日本のカトリック教会と日本社会に命じる。

天の門で私に会うことになる前に、地上で私と和解しなさい。

獣の刻印から解放されなさい。


2014年4月 3日 (木)

秋田のしるしが置かれた国で⑥

ここで、今まで書いてきたことを振り返りながら、一つの推論を行いたい。

それは、私が今まで繰り返しお伝えしてきたように、実際にこの日本のカトリック教会に、何らかの意図を持った国家規模の秘密裏の誘導工作があり、それが極めて巧妙な、心理学的な人心操作を伴ったものであると仮定して、その目的は何か?ということについてである。

私が体験し、見聞きしてきたことから振り返って考えるならば、妨害工作の対象となっているのは、日本のカトリック教会の教勢の拡大に顕著に貢献しそうな人物や団体である、ということだ。

「秋田のしるしが置かれた国で②」でも書いたことだが、この国の隠れた管理者たちは、カトリックを巧妙に「日本化」させ、つまり、日本社会に都合がいいよう、この国の国民にとって利用価値の高い組織に強引に変質させていくことを目指していると、私は感じる。

言い換えるならば、自分たちの国家にとって、カトリックの教勢の拡大のための熱意ある宣教は大きな迷惑だが、社会的、国際的には利用価値があると考えている。

つまり、自分たちの国家に都合の悪い部分は剪定して、お気に入りの小さな植木にしようとしているのだ。

フランシスコ会は、その霊性に基づいて、本来極めて素朴に信仰を伝えていく、民衆にとって近づきやすい修道会である。そして、宣教においては極めて積極的に民衆に教えを広めることに努力してきた。日本においても、戦国時代から、宣教への燃える熱意をもって、宣教師たちは伝道に励んでいた。

だからこそ、フランシスコ会はターゲットになり、巧妙な妨害工作と乗っ取りの中に落としこまれたのではないか?
信徒を増やすための熱意に燃える外国人宣教師たちが、不可解な妨げを日本の教会内で受けていったことも、このような背景に当てはめればつじつまが合う。

聖霊による刷新やオプス・デイ、新求道共同体、司祭のマリア運動など、カトリックの伝道の熱意に燃える新しいカリスマティックな団体が妨害されたこと、信心の高揚を与え信仰心を高めるカトリック聖歌が妨害されたのも、同じような理屈であると思う。

また、秋田の聖母が極めて重大な妨害を受けていったのも、秋田に世界中の人々が集まり、カトリック信仰がこの国で燃え上がるのを防ぐため、そして、何よりも、秋田の預言の中身が、彼らによる悪意ある世俗的誘導の教会内への隠れた侵入を告げているからに他ならないのではないかと思う。

その一方で、この国にとって利用価値のある社会派の司教、司祭たち、そして学校や福祉、医療などで貢献するカトリック団体は、この国のシステムの一部となって、容認され、評価され、闊歩している。この国の国際的、社会的な評価に貢献するために利用できるカトリックだけが好意的な誘導を受けているのだ。

その他の、この国の世俗主義と秘教主義、近代自由主義にとって邪魔な、カトリックの教えを伝え洗礼を授けることを目的として教勢の拡大を目指すカトリック聖職者や団体は、巧妙に圧力をかけられて妨害されている。

これはつまり、その核心にキリスト教の聖性と聖霊の働きへの冒涜があるということである。

これが、私が今まで体験してきたことを振り返って導き出された結論だ。

だから、今、これからこの国のカトリックにとって最も必要なのは、今までのように、この国に信用されるための福祉でも、学校でも、医療でも、ボランティアでもなく(仮にそれらが過去において預言的であったとしても)、民衆の改宗、すなわち、より多くの日本の民衆にカトリックの洗礼を授けていくために、大胆な直接宣教にシフトしていくことだと思う。

つまり、良き知らせの大胆な告知を、巧妙な規制と心理学的な誘導に幻惑されずに、とらわれない自由さで行っていくこと、あらゆる階層の市民に向けて行っていくことだと思う。

主イエスは真理であって、詭弁と偽善、建前の中には座しておられない。

偽証を土台とした建前のカトリックではなく、真理に導かれ、真実を告げるカトリックにならなければならないと思う。

偶像崇拝と偽証を土台とするならば、それはもはや、獣の刻印である。


秋田のしるしが置かれた国で⑤

1998年と2003年、私は数人の日本人カトリック聖職者の要人たちを訪問したが、訪問したのは男性聖職者だけではなかった。ひとりの修道女も訪問した。聖心会の廣戸直江シスターである。

シスター廣戸とは知り合いであった。私はこのブログでは分かち合ったことはなかったが、フランシスコ会に入会する前の一年間、東京・台東区の通称・山谷地域にある困窮者支援施設・山友会(現在NPO)の常駐ボランティアとして住み込みで勤務した。この時、すぐ近くのいろは通り商店街にある聖心会の共同体からシスター廣戸はよく通ってきていた。だから、知り合いだったのである。

シスター廣戸とは、東京・広尾の聖心女子大学内にある聖心会修道院で会った。久しぶりに再会したシスター廣戸は、当時、胃がん(であったと記憶している)の手術をした直後であり、とても痩せてしまっていて、私はとても驚いた。

私は病み上がりのシスター廣戸に私の体験を伝えるのは心苦しかったが、しかし、聖心会のシスターがどう感じるかを知ることは大切なことだと感じたので、私がフランシスコ会やトラピストなどで体験した一部始終を伝えた。

すると、シスター廣戸は、「日本の教会は、そういうことなのよ!何も変わっていない!なんということだ!」と言って、絶句してしまった。

私はとても悲しかったが、シスター廣戸にこれ以上聞くことは必要ないと感じ、山谷での思い出話などをして、一緒にお茶の時間を過ごし家路についた。

私は様々な日本のカトリック聖職者に会っていく中で、私が感じている日本のカトリック内部の「何らかの国内勢力による誘導と操作」、そしてそれらのことに関する日本のカトリック内の「沈黙の掟」は、ほぼ確実に存在すると感じるようになった。

そして、私が体験したことは、とても黙っていることはできない、納得のいかないことであったので、2003年、私は東京の司教館に連絡し、当時、東京教区・大司教になっていた岡田武夫大司教に面会を申し込んだ。面会を約束した日時、東京・目白の東京カテドラル内にある司教館を訪ねると、待っていたのは岡田大司教ではなく、東京教区の小宇佐神父であった。

「秋田のしるしが置かれた国で①」で書いた通り、小宇佐神父は、私の友人であったK・N氏が新潟教区神学生として那須にある初期養成施設・ガリラヤの家に行ったとき、指導者をしていた司祭である。

小宇佐神父は、「岡田大司教は体調が悪くて会えない。私が話を聞く。」と言った。そして、私の証言を聞いた後、吐き捨てるように、次のように言った。

「あなたのような人たちから、たくさん電話がかかってきて、私は忙しいんだ。」

私は何のことを言っているのかわからなかったが、詳しく聞いて見ると、小宇佐神父は当時、精神的に不調な人々のためのカウンセリングを担当しているということであった。つまり、私はそのような人々の一人であるということであった。私は本当に立腹したので、「ふざけるな!」と言って、部屋を出た。

現在に至るまで、私は、この小宇佐神父という人物を、まったく信用していない。

私はその後もたびたび東京・大司教館を訪ね、岡田大司教に会わせるように要求した。しかし、それはできなかった。何度目かの訪問の際、東京カテドラルを出ようとすると、一人の人物が近づいてきて、私にメモを渡した。それには、故・白柳誠一枢機卿の連絡先と住まいの住所が書かれていた。彼は言った。「白柳枢機卿に連絡してください。」

私は彼に感謝し、さっそく白柳枢機卿に電話した。すると、白柳枢機卿は私に会うことを約束し、自宅に来るようにと言った。当時、白柳枢機卿は、東京カテドラル近くの目白のマンションに自室を持っていた。私は、このマンションを訪問し、初めて白柳枢機卿に個人的な面会をした。

白柳枢機卿はソファに座り、黙って、私のフランシスコ会やトラピストの話を聞いていた。

白柳枢機卿は、北海道・トラピスト修道院の高木正義大院長の学友だった方である。当時、高木大院長が亡くなった直後だったので、まず、その話が出た。

白柳枢機卿は、高木大院長が亡くなる直前に見舞うことができた。高木大院長は、トラピスト会士らしく、静かに、沈黙の中で最期を迎えようとしていたということだった。

その後、白柳枢機卿は、私の話を一通り聞いた後に言った。

「うーん、困ったなあ。どうしてなのかなあ??どうして妨害されるのかなあ?聖霊刷新も私が擁護しようとがんばったんだ。」

私は当時、トラピストから帰宅した後、聖霊による刷新に参加していたが、聖霊による刷新も、健全に活動ができないような妨げを国内の聖職者たちから受けていたので、そのことも話題になったのである。

白柳枢機卿の話を聞いて感じたことは、司教に、そして枢機卿にするために若い時から育てられた白柳枢機卿にとっては、「見えない、隠された事柄」もあるのではないか、ということだった。

枢機卿という職務は、ローマの直属の奉仕職である。日本の事情を超越して働かなければならない。だから、白柳枢機卿には、日本の事情が隠されている部分もあるのではないか、と私は感じたのだ。

白柳枢機卿は言った。

「私はもう歳だから、若い人々に相談してください。」

私は正直に言って、がっかりした。結局、白柳枢機卿にも責任回避されたのだ。
日本の若い聖職者たちが私の話をいい加減にしか聞かないから、白柳枢機卿に話したのだ。
いまさら、若い日本人聖職者たちに話そうとは思わなかった。
その後、白柳枢機卿は、2009年に帰天された。

私は、そのほかにも、大阪大司教区の池長大司教、幸田和夫神父(現在・司教)、澤田和夫神父、カトリック中央協議会なども訪問し、面会している。また、当時、大分教区長であった宮原司教とは電話で話した。幸田神父は、私が高校生の時、高円寺教会で洗礼を受けるために学んだ司祭であり、澤田和夫神父とは、山谷の活動や聖体奉仕会の黙想会において知り合いだった。

私が伝えている証しは、ミレニアム前後から、すでに複数の外国人宣教師たちを通じて、バチカンに報告されている。

証しされた内容は、主イエスの御座の前に、真実であると宣言する。

2014年3月30日 (日)

秋田のしるしが置かれた国で④

私は1998年、トラピストから帰宅した後、日本のカトリックの要人と思われる司祭、修道者たちを訪ね歩いた。また、秋田の聖母マリアのホームページを準備し始めた2003年にも、同様に数人のカトリック聖職者たちを訪問している。

話は前後してしまうかもしれないが、この1998年と2003年に行った私の”調査”の結果を順不同でお伝えしていきたい。

あらかじめお伝えしておくが、私の証言を聞いて、真剣に聞き、相談に乗ろうとしたのは、外国人宣教師たちだけであって、日本人司教、司祭たちは、あいまいでいいかげん、不誠実な態度で聞き、真剣に調べようとはしなかった。そして、私に対して一種のマインドコントロールを行うかのように、私の追及をかわそうと図った。そこには、何らかの「日本の事情」が介在していることは明らかである。それこそが日本のカトリック教会の真の本質的問題の表れであろうと思う。

まず、思い出されるのは、当時の東京大司教区・補佐司教であった森一弘司教である。森司教には、東京の司教館で会った。森司教は私の証言を聞き、ひとこと言った。

「あなたはまじめすぎるよ。」

私は唖然とした。真面目に話さずに、どうやって話すべきなのか?笑い話にしろというのか?私が体験したことはあまりにも重大なのに、その本質を見ようとせず、「まじめすぎる」とは、いったいどういう理論なのか?
森司教は、真面目に司教職をやっていないというのか?明らかに、私の話をはぐらかして、本質的な追求がされないように誤魔化しているとしか思えなかった。

人生上の侮辱を受け、真剣に訴えに行った若者に、司教がこんな言い方をするとは、あきれかえるばかりであった。

その後、森司教とは対話にならなかった。森司教が私の話を中断してしまったからだ。教会権威者として、巧妙に私に圧力をかけたことは明らかだった。本当に無礼で、私にとっては、教会の保身のための作為を感じただけだった。

森司教はこの時、「上石神井のイエズス会修道院に行きなさい。そこに、生熊神父という司祭がいる。彼に会いに行きなさい。」と言った。

私は言われた通り、すぐに上石神井のイエズス会修道院を訪問し、黙想の家で、生熊神父に会った。

生熊神父は森司教からの連絡で待っており、私を奥にある自室に通した。

すると彼は、自分がいままでいかに立派にイエズス会士として、事業に貢献してきたかについて話し始めた。
彼は東大を卒業して、イエズス会士となり、六甲学園の校長など、要職を歴任して、現在、上石神井で黙想指導をしていることを私に話した。

そして、私の話はほとんど何も聞かずに、「言わなくてもいいことは、これ以上言うな」という意味のことを私に言った。

私は、恐ろしいと言うよりも、あきれかえって家路についたが、それにしても、私が高校生の時に堅信を受け、記念カードまでもらった森司教がこんな人物で、イエズス会の日本人が、こんなヤクザまがいの連中だったということに、驚きはてるばかりであった。

「あなたはまじめすぎる」というまったく同じ言葉を私に語ったもうひとりの聖職者がいた。カルメル会の奥村一郎神父だ。奥村神父とは、上野毛のカルメル会修道院で面会した。奥村神父は、岡田司教や生熊神父と同じ東京大学卒、第二バチカン公会議以降、日本独自の日本的なカトリック霊性を追求してきた司祭だ。私は、彼とは面識がなく、何のつながりもなかったが、面会を申し込んだら、会うことができた。

そして、私の証言をひととおり聞いた後、「あっはっは」と笑い、そして言った。

「あなたはまじめすぎるよ。すこし休んだ方がいい。」

「あなたはまじめすぎる」とは、何かの合言葉だろうか?森司教も、奥村神父も、まったく同じことを言った。
打ち合わせでも行ったのだろうか?

問題は私の思考や精神状態であって、日本のカトリック教会組織には問題は無い、と言いたいのだろう。

それにしても、私の問題提起を真剣に聞かず、「まじめすぎる」とは、なんという言い草だろうか。
明らかに、問題点をはぐらかしてすりかえ、責任追求をされないようにするための心理学的なマインドコントロールの技法だと感じた。

東大卒の聖職者たちのこれらのやり方は、いったいなんだろうか?
すなおに、そして単純に考えるならば、何らかの秘密裏の国家的な誘導や操作が背後にあるとしか考えられない。

私は、さらに数人の聖職者たちに面会した。

私が伝えている証しは、ミレニアム前後から、すでに複数の外国人宣教師たちを通じて、バチカンに報告されている。

証しされた内容は、主イエスの御座の前に、真実であると宣言する。


2014年3月24日 (月)

秋田のしるしが置かれた国で③

1998年、私は北海道のトラピスト修道院から戻ると、日本のカトリック教会の要人たちを訪ね歩いた。

まず、鮮烈に記憶に残っているのは、帰天された浜尾枢機卿に会った時のことだ。浜尾枢機卿は当時、まだ横浜教区司教であり、バチカンの難民移住移動者評議会のリーダーに任命されて、バチカンに向かう準備をされている時であった。

私は、「トラピストで重大な体験をしたことをお伝えしたい」と、浜尾司教に面会を申し込み、横浜の山手教会にある司教館を訪ねた。浜尾司教は待っていてくださり、私のフランシスコ会やトラピストで体験した話をしっかりと聞かれた。私は質問した。「私の体験は、何らかの組織による妨害でしょうか?」すると、浜尾司教は怯えた顔になり、そして答えた。「わからない。しかし、言えることは、それは墜ちた天使の仕業だということだ。」

浜尾司教は、それ以上のことは何も言えなかった。何かに怯えるように、口を閉ざしたのだ。
浜尾司教の反応を振り返ってみても、日本のカトリック教会では、教会内で起きている妨害や巧妙な操作について語ることは一種のタブーであって、沈黙を要求されることがわかる。それは、私がその後に訪問する人々の反応によっても、確かに確認されていくことであった。

「墜ちた天使」すなわち、それは堕天使ルシフェルを意味する。堕天使は、悪魔となった天使である。そして、この堕天使を信奉する秘密結社の存在は、世界で広く認識されている。一説によれば、秘密結社フリーメーソンの真の中核にあるのは、この堕天使への信奉だと言う。私は、フリーメーソンとルシフェルの関係はよくわからないが、浜尾司教の言葉は、鮮烈に記憶に残っている。

浜尾司教は、別れ際に言った。「私はバチカンに行く。今までの国内の支えを無くされたようなものだ。私が奉仕の務めを果たせるように、祈ってほしい。」

その後、浜尾文郎司教は大司教となり、そして、枢機卿に任命され、2007年に帰天された。

次に思い出すのは、当時、さいたま教区長だった岡田司教と面会した時のことである。

岡田司教とは面識があった。
私がフランシスコ会の修練者として、北浦和修練院で暮らしていた時、浦和の援助会修道院で彼と会食をする機会があった。この時は、私ともうひとりの修練者、そして当時の修練長であった長谷川潤神父が同席していた。

その際、岡田司教は、私たちに「オプス・デイはローマの言うことしか聞かない。ローマの政治だから気を付けなさい。」と言った。オプス・デイとは、スペインを発祥とする新しいカトリック団体である。当時、バチカンのヨハネ・パウロ2世教皇は、周囲を信頼できる人々で固めるため、オプス・デイのメンバーを積極的に登用していた。(創始者のホセ・マリー・エスクリバー神父は、2002年、ヨハネ・パウロ2世教皇によって聖人に列せられた。)

岡田司教の発言は、私にとって、本当に衝撃的なことであった。ヨハネ・パウロ2世教皇が厚く信頼している団体のことを「彼らは危険だから気を付けろ」と言ったのだ。私にはオプス・デイに参加している信頼できる友人がいたし、そして、ヨハネ・パウロ2世の教えに育てられた私にとって、それはまさに、教皇への反抗だと感じたのだ。

岡田司教の考えが、今、どうであるかはわからない。しかし、この時の発言は、司教としての私たちへのアドバイスであった以上、そこには、「日本のカトリックの政治」が意図されていたことは明白であろうと思う。

この岡田司教と、トラピストを出てきた後、ひさしぶりに再会したのだ。場所は、浦和の司教館だった。
私がトラピストで体験したことを話すと、彼は、私をあわれむような目で見て、祈るような仕草をして、
一万円を持ってきた。そして、私に差し出した。

フランシスコ会の人々から、私が病気だという噂を、何か聞いていたのかもしれない。
かわいそうな男を助けてあげよう、というようなまなざしであった。

彼は、私が体験したことについての助言は、何もしなかった。沈黙していた。
ただ、一万円を差し出した。それ以来、私は岡田司教には一度も会っていない。

一連の日本の司教たちとの面会で最も奇妙なのは、私の証言が教会内の深刻な妨害や操作に関することなのに、真剣に話を聞かず、謝罪もせず、調べようともしないということだった。これは、社会的に極めて不適切な対応だと言わざるを得ない。しかし、日本のカトリック内部の宗教的暗示によって、このような態度が容認されてきてしまっている。

それは、なぜなのか?それが、今回の私の証しの主要なテーマでもある。

私の証しは、主イエスの御座の前に真実であると宣言する。


2014年3月21日 (金)

秋田のしるしが置かれた国で② 

日本で宣教を志した多くの外国人宣教師たちが、不可解な妨げを体験してきたことは、単に偶然の連鎖ではない。

最近の阿部政権の右翼的な異常な動きと合わせて考えてみると、この日本という国家の背後で社会と世相、つまり国民を誘導して操作している人々は、日本においてカトリックを操って乗っ取ろうとしているのではないかと感じられる。

今までの私の人生の体験でもそう感じてきたし、今、本当にそれが確実なことなのではないかと感じている。
日本のカトリック内部の異常な閉塞感は、信徒が常に、何に由来しているのかつかめない奇妙な操作と誘導と圧力を感じてきたことに起因している。

カトリックを巧妙に「日本化」させ、つまり、日本社会に都合がいいよう、この国の国民にとって利用価値の高い組織に強引に変質させていくことが、この国の「隠れた闇の官僚たち」の目的であると推論できる。これは、中国共産党よりも不誠実で偽善的な、カトリックの乗っ取りだと断言できる。私はそれを、体験的に知っている。

彼らは右翼的思想家たちであり、また、フリーメーソン的な秘教主義と近代主義、世俗主義を併せ持った人々である。

それらの巧妙な操作は、どのような場合でも言い訳ができるような方法で、秘密裏に行われてきた。

日本の司教団が一見、右翼的ではなく、むしろ左傾化しているように感じられるとしても、それはある意味でカモフラージュであって、実際は、この国の隠れた誘導に組しており、この国の隠された意図に従っている。

バチカンと世界を欺きながら進められていったこの秘められた乗っ取りの計画は、実際、日本のカトリック内部に深く入り込まなければ見えてこない動きだ。教会上層部にも、一般信徒にも、操作と誘導に協力する人々が入り込んでいて、神の御心に従うのではなく、この国の秘められた意向に従っている。

そして、恐ろしいことは、操作と誘導に聞き従っている人々にとっては、それは常に善意であり、この国において正しいことだと思っていることだ。自分たちの論理が神に受け入れられている、と誤った解釈をしている。そして、自分たちの計画に従わない者たちを疎外していく。

この隠れた計画がフリーメーソン的である以上、その核心にはカトリックの教義と聖性への妨害と冒涜という意図がある。

これが、私が真に理解していることだ。

だから、私は次のように宣言したい。

「主イエスの御名によって言い、命令します。あなたがた日本のカトリック教会の構成員の中で、この国の隠れた誘導の業に組している人々は、獣の刻印の中に置かれていることに気づきなさい。獣の業に導かれるのではなく、回心して、主なる聖霊に導かれなさい。

主イエスの御名によって言い、命令します。キリスト者の自由を生きなさい。獣の業による声のささやきに聴き従うのではなく、神の声を霊で聞きなさい。光を装った闇に従うのをやめなさい。あなたがた日本のカトリック教会は、秋田の預言の成就の中に置かれています。」

この獣の業の国において、父と子と聖霊が勝利しますように。

2014年3月17日 (月)

秋田のしるしが置かれた国で①

1995年、阪神大震災の直後、私は異常な迫害を体験したフランシスコ会を退会して、秋田の聖体奉仕会に向かった。一年の約束でボランティアとして常駐するためであった。三軒茶屋教会時代の友人K・N氏が、前年から聖体奉仕会でボランティアとして常駐していたので呼び寄せてくれたのである。

K・N氏は、私が秋田に到着すると、秋田を離れ、故佐藤敬一司教に願い出て、新潟教区の神学生となって、当時の教区神学生の初期養成施設であった那須のガリラヤの家に向かった。

しかし、数か月もしないうちに、夜突然聖体奉仕会に電話が入り、K・N氏は、ガリラヤの家から逃亡するように脱出してきた。新潟教区内の外国人宣教師が一時的に保護し、その後、聖体奉仕会に帰ってきた。

聖体奉仕会に帰ってきたK・N氏は、とても憔悴しており、精神的に混乱していた。そして言った。「ガリラヤの家で指導司祭と仲間の神学生たちに脅迫された」と。当時のガリラヤの家の指導司祭は小宇佐神父という司祭であった。K・N氏は、追い詰められて逃げ出してきたと言うのだ。

K・N氏は、当時30歳前後、営業職もやっていたとても明るい社交的な性格で、人間関係に配慮する優しいバランスの取れた人物であった。なぜ、数か月のうちに突然変貌して、精神的に混乱してしまうほどに追い詰められたのか、本当に不可解であった。

笹川姉妹はじめ、聖体奉仕会のメンバーと私たちが彼を慰め、落ち着かせようと努力した。安田神父の親戚である秋田市内の医者に診断を受け、精神安定剤を処方された。しかし、私は、ひとつの符号を感じていた。

私がフランシスコ会の修練院で受けた陰湿ないじめと、K・N氏が受けた脅迫には、何か共通点があるのではないか?ということであった。彼と私の共通項は、フランシスコ会ローマ管区の指導する三軒茶屋教会の信徒であったこと、そして、秋田の聖体奉仕会に出入りしていたこと、これだけである。

当時、私がフランシスコ会内で異常な迫害を体験をしたことを知った三軒茶屋教会の主任司祭、ジョバンニ・プッチ神父は激怒し、「なぜ、私たちが送り出した息子たちは追い出されてくるのか!」と叫んだ。プッチ神父は、その後、日本のフランシスコ会の内部が異常な状態であることを教えてくれた。

私は新潟の司教館に出向き、佐藤司教に会って、詳細な調査をお願いした。「K・N氏の人柄から考えて、妄想とは思えない。何かあったに違いない、調べてください」と言った。

しかし、佐藤司教はこう言った。「調べても何も出てこないよ!勘弁してくれ!」私は憤慨した。事実関係を調査してからそう言うのならまだわかるが、調べる前から、「何も出てこない」とはどういうことか。何か、日本のカトリックには触れてはいけない事柄があることを感じさせた。

結局、K・N氏は、精神衰弱と診断され、服薬した後、回復していった。その後、周囲の世話で御受難修道会に入会し、司祭となった。司祭になったのだから、ある意味で体制側による口封じは成功している。彼が今後、自分の地位と信用を捨てて、あの出来事を口にすることはないだろう。

私の場合は、修練院での陰湿ないじめがあることをおかしいと管区長に訴えた後、私のことを「精神的におかしい」と噂が流されたのである。K・N氏の場合は、養成施設内で指導司祭と教区神学生が共謀して、聖体奉仕会から来たK・N氏をいじめて追い出そうとしたのだろうか。

いずれにせよ、私たちの体験が真実であるとすれば、フランシスコ会内でも、教区の養成施設でも、いじめや脅迫が複数の人間によって行われた以上、そこには何らかの意思の疎通、共同の行動原理、了解事項があるということになる。それらの指令は、いったい誰が出したのだろうか?

ここに、長年の日本のカトリックの闇が垣間見えている。まさに裂け目から噴き出したように、それは私たちの前に明らかになった。私が体験した限りで言えば、それらの迫害は、日本人司祭や神学生たちによって行われたのであり、外国人宣教師たちは加担していない。外国人宣教師は不在の場で行われた。

つまり、外国人宣教師たちには、気づかれないように行われてきたということだ。ここに、日本のカトリックを支配する闇がある。

私の証しは、偽りではないと断言する。自分たちの保身のために、私の証言を否定して嘘をばらまこうとする人々がいれば、神の呪いと怒りを決定的に受けるだろう。その人々は、自分たちの頭上に、秋田の預言の成就を呼ぶことになるだろう。

私は1996年に聖体奉仕会を離れた後、北海道の厳律シトー会・トラピスト修道院に入会したが、そこでも異常な体験をしている。

トラピストへの紹介状は、当時の三軒茶屋教会の助任司祭、小平正寿神父に書いていただいた。小平神父はフランシスコ会ローマ管区に属し、司祭のマリア運動に参加していた司祭である。

私は北斗市、渡島当別に到着し、トラピスト修道院に向かった。トラピスト修道院には旧知の修道士たちが何人もいて、わが家へ向かうような安心した気持ちであった。

私はトラピスト修道院に入り、剃髪し、生活を開始した。しかし、私が到着した日の一週間前に、入会を希望する新しい兄弟が到着していた。トラピストでは入会日を季節などで特別指定していないので、希望して到着した日が生活の開始となる。私と彼は偶然に入会期日が近かったのだと私は思った。

彼は東京初台教会の信徒で、40歳代、洗礼を受けて3年もたっていない資格不十分であったが、どうしてもトラピストで生活したいと希望し、初台教会のレデンプトール修道会の外国人宣教師に頼み込んで、特別に紹介してらった人物であった。

彼は、私と同じ、東京・中野区の生まれだと言った。両親が亡くなり、ひとりになったので修道生活を希望した、と言った。彼の実家の菩提寺が、私の実家の菩提寺の隣であることもわかり、私はなんとなく親近感がわき、きっと主のご配慮であろうと思った。

毎日、仕事や勉学の合間の休憩時間には、他の志願者兄弟も交えて、彼と会話をした。トラピストの志願期には、休憩時間に会話が許される。彼は少し短気な性格であるとは感じたが、生活に何も問題はなかった。しかし、3か月ほど過ぎたある日、突然、彼が異常な行動をとり始めた。

労働時間の農作業や工場労働の時、私の作業を妨害するような行動をとり始めたのだ。私は最初、冗談でやっているのかと思ったが、そうではなかった。明らかに、私を怒らそうとして、故意に行っていた。しかも、周囲に気付かれないように妨害を行った。それは、毎日たびたび繰り返された。

私は本当に驚いた。そして、「いったいこの男は何者だ」と感じた。さらに彼の行動はエスカレートし、休憩時間の会話の際、私の発言を攻撃することを始めたのだ。これには他の志願者兄弟も気づいて、怯えていた。しかし、彼の性格の不完全さゆえであろうと考え、しばらくは忍耐していた。

私は高木正義大修道院長に相談した。しかし、高木院長の答えは「彼は私が初台の宣教師から預かりました。あなたは、彼のことは気にしないで、あなたの修道生活を続けなさい。」というものだった。

しかし、あまりにもたびたび妨害するので、ある日、私は本当に立腹し、彼の胸ぐらをつかんで、「いったい、あなたは、なぜ、トラピストに入会した?目的は何だ?」と聞いた。すると、体格の良い武道家のようなこの男は、突然泣き出し、院長室に駈け込んだ。そして、私のことを訴えたのだ。
私は高木大院長に呼び出された。そして、次のように聞かれた。「あなたの精神状態は大丈夫か?私はフランシスコ会の管区長にあなたのことを聞いた。あなたは精神的に疲れているらしい。あなたは家に帰った方が良い。」

私は抗議した。「私は精神的にまったく安定していて、ここでの生活に喜びを感じています。あのアルフォンソ修道士が異常な行動をすることで、どうして私までおかしいと言われるのですか?」

しかし、高木大院長は繰り返した。「あなたは家に帰った方が良い。そこでやらなければならないことがある。」そして、私は退会することになった。トラピストでの生活は1年半あまりであった。問題の男、アルフォンソ修道士は、その後も修道院に残ったと聞いている。

私は東京に戻ると、まず初台教会のレデンプトール会の外国人宣教師たちに会いにいった。そして、アルフォンソ修道士をなぜ紹介したのか?彼の異常さに気付けなかったのか?と、私の体験を話しながら質問した。

すると、レデンプトール会の宣教師たちは、突然、何も話さなくなり、まったくの沈黙を態度で示した。私が何を聞いても、問いただしても、何も言わない。何も答えることができないことを態度で示した。いったい、これはどういうことか?と私は思った。

当時のトラピストで私を知っている高木大院長も堀口修練長も、高橋神父(兄)も、野口神父ももう帰天された。私を知っている修道士の兄弟も数人残っているが、私は病気で退会したと思わされているようだ。

私がトラピストで生活した思い出の中の良き面を記録したブログ記事は下記からお読みいただきたい。このブログ記事は、私が真実を隠して、良き思い出のみを記録したものである。

http://101newlifenet.cocolog-nifty.com/blog/cat47716365/index.html

私は実家に帰宅すると、父が失敗してお金に困っているという状況が起きていた。父は私が修道生活を志していたため、何も言えなかったのだ。なんという神の摂理だろうか、私はそれによって、もはや修道生活を考えることはできなくなった。

修道生活を断念した私は、とにかく、三軒茶屋教会やフランシスコ会や聖体奉仕会、そしてトラピストで私の身に起きた出来事の数々をはっきりとさせるために、日本のカトリックの要職にある人々を訪ね歩いた。

まず所属教会であった三軒茶屋教会を訪ねると、フランシスコ会ローマ管区のイタリア人司祭、ジョバンニ・プッチ神父は次のように言った。「フランシスコ、やっと本当に気づいたか!私たちは妨害されているんだ。あなたは病気なんかじゃないよ!私たちは、もうイタリアに帰ろうと思っているんだよ。本当に帰るよ。」

1999年、フランシスコ会ローマ管区は、日本から引き揚げた。

私の証しは、主イエスの御座の前に真実であると宣言する。