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2017年6月19日 (月)

総論 序 ~秋田のしるしが置かれた国で~

JESUS IS LORD!
兄弟姉妹の皆様へ

預言的に霊によって伝えた通り、日本人と日本社会、そして日本のカトリック教会からの私と私の家族への誠意ある要求通りの謝罪が無かったゆえに、その結果として、私はこれまでのカトリック教徒としての日本社会での体験の事実に基づいた証言について、最終的な検討と考察に入り、総論としてまとめ、各論に移行し、そして結論に至る。

これは、預言奉仕者としての公的な宣言ともなる霊の証しだ。
言葉は戻らない。これは神の義を伝える霊の力だ。

霊が語らせることを、心して目と耳を開いて聞くように。

FA

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総論

私が1986年、高校3年生の時にカトリック教徒になるためにカトリック高円寺教会で洗礼を受けてから、これまでの30年以上にわたり、日本社会と日本のカトリック教会で体験したことを思いめぐらす時、偶発的と思える数々の「心地よくない出来事」の中に、関連性を感じるものが見出せる。

今まで語っていないことを例に挙げるなら、それは、新求道共同体に対する不可解な妨げの連続、80年代後期から90年代初期にフランシスコ会に起きた分裂事件である第二共同体問題、フランシスコ会の宣教師たちの日本の教会への激しい疑い、サレジオ会のマッサ神父様の日本社会と教会への疑いの証言、オプス・デイが妨げられて活発に活動できなかったこと、フランスの聖霊刷新の動きであったエマニュエル共同体が東京で活動を志したが事実上活動をしていないこと。日本の神学校内部の不可解な生活の乱れと閉鎖性、函館の男子トラピスト修道院の生活の中の異常性、日本のカトリック教会の右派と左派の間のた絶え間ない陰口の言い合いと衝突などである。

数え上げればまだまだいくつでも思い浮かぶが、私が体験として知りえた事実と証言を、今まで書いていないことも明確に「すべて」書き尽くして書き込みながら、私の人生から見出せる日本のカトリック教会と日本社会の真実について、総論、各論、結論を霊に導かれてまとめていきたい。

ひとつ、最初に伝えたい結論の一つは、私が日本でカトリック教徒として体験してきたことから導き出される結果として、私は、自分自身の責任において、積極的に日本人を日本のカトリック教会に招くことは避けたい。
なぜなら、私のような思いをし、私のような体験をするなら、誰も日本のカトリック教会には誘いたくないからだ。

私は、日本人に、自分が喜びに満たされており救われていること、カトリックとして生活することがどれほど素晴らしいかを自分の人生の確信として伝えることはできるが、私のような人生体験に他者を招きたくはない。
ゆえに、日本のカトリックには誘えない。

グローバルな意味でのカトリックの救いには招けても、日本のカトリック教会共同体には誘えない。これが結論である。そして、それは、私が日本人の司祭の聖体祭儀には参加せず、聖体を受けないことと共通の原因とも言えるものである。

耳ある者たちは、霊が日本の教会に告げることを、心して聞くように。


2017年6月19日
カトリック聖霊による刷新に連なる三位一体の預言奉仕者であり、
秋田の聖母の使徒、そして終わりの預言奉仕者である、

FA


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