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2017年3月25日 (土)

M・スコセッシの映画「沈黙」について ~終わりの預言奉仕者として~

映画「沈黙」について、少し皆さんと分かち合いたいと思います。

今回の映画「沈黙」の制作の目的を、M・スコセッシ監督がインタビューで答えています。

下記リンクをご覧ください。

M・スコセッシ監督が語る 『沈黙』を映画化した意味 - NIKKEI STYLE
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO11783670X10C17A1000000?channel=DF280120166614

M・スコセッシは元神学生であり、有名なロバートデニーロの映画、ベトナム戦争後のアメリカで刹那的に生きる元海兵隊の運転手を描いた「タクシードライバー」で有名になりました。アメリカのニューシネマの代表作と言われます。スコセッシ監督はセンセーショナルな話題を呼び、警戒をされたキリストの生涯に関する自己解釈の映画「最後の誘惑」も制作しています。

今回のスコセッシの映画「沈黙」は、正統的な教義と信仰理解に対する、少なからぬ挑戦と告発です。
それは、スコセッシの興味と関心と一致することです。それは、日本人・遠藤周作が日本でキリスト教を意図的に「日本化」へ誘導しようとしたことと方向性と目的が一致しています。

遠藤周作の思想の秘められた目的は、キリスト教を日本的なものへと方向づけることでした。彼は戦後の日本のフランスへの国費留学生の第一号であり、彼の作家としての創作が、日本の支配の秘められた誘導と無縁ではなかったことを示しています。

遠藤周作は神の母性について思いめぐらしましたが、これは、作家としての、ひとつの「イメージ」です。彼は霊感によって、これを三位一体から啓示されて示されたのではありません。それは、ある意味で戦後日本のポピュリズム(大衆迎合主義)に日本のカトリックを同化させようと方向づけることであり、キリスト教の三位一体の父性の御顔をかき消して、「我々の気に入る日本の神々の顔になれ」と要求していったということです。これは、私が指摘してきた、世俗国家主義右翼カルトの秘められた誘導と無縁ではないと断言します。

この日本の隠れた右翼支配は、巧妙にキリスト教の宣教と教勢の拡大を妨害しながら、キリスト教と御父なる神の「女性化」を目論みました。それは、彼らの支配と精神性を、キリスト教の父性に支配されないための保護主義が根源にあります。キリスト教の神父や牧師や信徒の男性が、女性的になるように誘導しようとする秘められた日本社会の誘導が確認されてきました。これは事実です。

そして、遠藤周作の背後の秘められた目的は、スコセッシの思想的な目的でもありました。それは、三位一体の真の御顔とキリスト教を、人間の思いで変質させることでした。それは、現代に示された自己解釈の異端であり、人間の自由を利用して、三位一体を誘導して屈服させようとする試みです。

ここには、人間の秘められた傲慢が存在しています。

彼らは聖霊に導かれて賜物を受け、啓示的な洞察を開かれたのではありません。「沈黙」の中に見られる信仰理解は、人間の思い、人間の考え、人間の自己解釈です。主なる神が遠藤周作とスコセッシに知らせたのではないことを、明確にお伝えしておきます。

遠藤周作の「沈黙」が、世に発表された当時は、日本のカトリックは警戒し、論議も活発だったようですが、現在、今回のスコセッシの映画について、日本の司教や司祭から警戒の声は聴かれず、むしろ、沈黙が支配して、無思慮な迎合をしていると言えます。

日本のカトリックが日本の世俗支配に屈服しているしるしです。

教皇様はこの映画「沈黙」をご覧になられました。スコセッシ監督にも会い、交流しました。映画の一部で笑っていたと伝えられましたが、感想のコメントは伝えられていません。なぜですか?それを考えてください。教皇様の「沈黙」の意味を。

御父である神は、確かに、義である父性を持つ神です。それは、聖書で一貫して伝えられている真理です。
人間のイメージで、神の真の御顔をかき消し、神の顔を変質させて屈服させようとすることは、恐るべき秘められた傲慢なのだと日本人は気づくべきです。

日本人にとって、神とは想像の産物、常にイメージの具現です。そのような神々を祀って、信心してきたのが日本人です。日本人は、三位一体をも、自分たちのイメージで顔を作り祀ろうとしているのです。そのほうが、生活が過ごしやすく、楽しいし、ご利益がありそうだからです。

しかし、秋田を信じる皆さん、秋田で啓示された三位一体は、義の神、怒りを持つことがある全知全能の創造主、聖母マリアは明確に、「御父は怒っておられます」と伝えてきました。

三位一体の秋田における私的啓示を信じることは、すなわち、天地創造の神、御父である全能の主が、
父性を持つ義の神であるという認識を、もう一度再確認していくことなのです。

そしてそれは、旧約、新約聖書の正しい理解と結ばれていくことであり、新奇な興味本位な神学との決別を意味します。

遠藤周作の国に示された三位一体のしるしこそ、秋田なのです。

日本人が私に謝罪しないならば、秋田は完全な成就へと方向づけられていくでしょう。
それは、三位一体と天の全軍の義の現れとなるでしょう。

御父である主なる神は、この日本の本当の姿を、450年間見つめ続けてきました。

神は女ではなく、父性を持つ創造主です。日本国の繁栄と存在を赦したことを悔やむ日が来るのなら、それは秋田の完全な成就の日となるでしょう。

日本人よ、秋田での聖母の涙を知りなさい。御父の怒りの日が近づいたことを知らせる、聖母の絶えまない涙を。

涙は6年間にわたって、聖母の木像から101回流れました。1000人以上の人々が目撃しました。
この涙は、笹川姉妹に伝えられた通り、御父が怒っておられることについて知らせる涙でした。

このようなことは、キリスト教2000年の歴史で初めてのことです。それを自覚なさってください。
皆さん、秋田の啓示を受け入れるということは、その事実を受け入れるということです。

あわれみといつくしみに満ちた愛の創造主は、また、人間の傲慢を怒りをもって見つめる父性の神でもあります。
それこそ、真の三位一体の御顔です。

御子イエスは聖ファウスティナに神のいつくしみを啓示されました。それは、御父の義の日の到来の前に、
神が限りない深いいつくしみをもって人間を創造され、真に創造主の愛と出会い、救われることを願っていることを、もういちど、最終的に人類に知らせるためでした。

人間の思いで、三位一体の真の御顔を変えることはできません。
それは、秋田をかき消そうとしてきた、日本人と世界の秘められた目的と一致しているのです。

2017年3月25日
神のお告げの祭日
カトリック聖霊による刷新に連なる三位一体の預言奉仕者であり、
秋田の聖母の使徒、そして終わりの預言奉仕者である、


FA

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